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とーちゃん。

俺のとーちゃん。

 

とーちゃんとは俺が52年生きた中で、

1/3しか一緒に過ごせてない。

 

それからは年に1回、もしくは数回…
会えてもゆっくり話したことは数えるほどかな。

 

今になって、すごく寂しく思っても遅いね。
脳梗塞を起こしてから入退院を繰り返したけど、、、

 

昨年の9月20日、最後の闘病生活が始まった。


この日だったか?…

リビングのとーちゃんの額絵が落ちた‼

その絵は今の持ち家に引っ越し祝いで描いてくれた、

我々夫婦の干支「駆ける午」である。

 

嫌な予感はしたが、
2週間後の10月3日、

とーちゃんの誕生日の電話で知らされた。

 

遠く離れてる俺に心配かけまいと、
しばらく黙ってた母親と兄。

 

今思えば、1人離れ離れになってた自分が、
自ら実父母に近寄ろうとしなかったことが、悔やまれる。

 

もっと元気なうちに、
ここ1年で言えば、意識のしっかりしてるうちに、、、
少しでも一緒に過ごせたら。

 

 

イタリアスケッチ旅行にて(2002)

 

我家の玄関や入院してた市立病院に飾られてる、

イタリアでも特に好きだった、ベネツィア風景。

 


そんなとーちゃんとの思い出も
小さい頃はいろいろ…

 

野球好きだった小学校低学年時には、
運動があまり得意でないとーちゃんが、
よくキャッチボールに付き合ってくれた。

 

将棋が好きになると、
すぐに将棋盤を買って来てくれて、
毎日対戦したね!


最初は負けてたけど、
おかげで興味が深まり、強くなった。

小学5年の時、将棋クラブに入って優勝し、

全校集会で紹介された時は、自信になったし自慢だった。

 

日曜日の子どもたちのお絵描き教室も、
手伝ったことを思い出すな〜

 

かあちゃんに内緒でお小遣いくれたことも...
子どもながらに嬉しかった^ ^

 

 

貴重な家族4人の1枚。

 

 

でも、絵を描くこと以外は不器用な父だったかな〜

よく母ちゃんに怒られ、

激しいケンカしても逃げてばかり・・・

 

高校生になり、母ちゃんを困らせた時に
体格で上回った俺は、力でおさえたこともあったな。

ごめんなー

 

今になってよみがえる

40年45年前からの思い出の数々が、
走馬燈のように思い返される。

 

田舎でゆっくり時間が流れ、

一緒に過ごした子どもの頃。


懐かしい思い出に感謝します。ほんとありがとう!
また昔のように遊ぼう、とーちゃん。

 

 

自宅アトリエにて

 


とーちゃんは絵を描き始めて約60年。
ここ数年は描きたくても描けない…


それを静かに願ってたが叶わなかった。

 

 

喉、声のハンディを子どもの頃から克服しながら、
大好きな絵を持って、人々に、社会に、、、
自己表現でメッセージしてきた!

 

 

闘牛を描いた初期当時の絵

 

 

とーちゃんの絵と言えば「闘牛」


1トンの牛同士がぶつかり合う姿を
あの小さな体で迫力ある姿に描きあげる!

 

俺もあのシンプルな構図が好きだった。
急に絵が描けなくなる現実…酷過ぎるよな〜

 

 

葬儀の日に兄に教えてもらったけど、
1番好きな絵具の色があったらしい。

 

「イエロー オーカー」

 

これも忘れず旅立った!

 

闘牛場の背景の土、
生まれ育った宇和の田園風景などに使ってたんだね。
今さらながら納得した!

 

 

絵描きとしての父。
あまり口には出すことなかったが、
子どもの頃から誇りに思っていたよ。

 


昨日、田舎から野菜ジュースが3箱届いた!
送り主は父・倉田俊士。

 

いつも母ちゃんからお米やお野菜…
荷物が届くが、、、

とーちゃんからの送り主は最後なのかな〜
と思うと、また寂しくなる。

 


母ちゃんと58年。兄は55、俺も52。
長い間、倉田本家の長男として、
我が家族の大黒柱として、、、お疲れ様でした。

 

 

しばらくは身体を休めて、
また大好きな絵を描いてね!

 

あっ、
もう来年の干支の絵を描かないとね!

 

 

 

 

また会える日まで、、、
とーちゃん、とーちゃん、安らかに。

 

 

2018年10月20日19時23分

新たな旅へ・・・

 


浩平
2018.10.26